座禅とは?
前回の投稿で、「選択疲れ」というものについて書きました。
脳を休めた方がいいですよ。そのためには何をしたらいいのか、「無」になるために座禅がいいですかね、みたいな事を書きました。
そこで「無にはなれませんし、そもそも座禅は何も考えないことをする事ではない」と書きました。
ただ、あくまでもこれはわたしなりの解釈なのでこれが仏教の答えだとは思わないでください。
座禅=瞑想、瞑想=座禅と考える人もいますがこれも違います。
瞑想をするための一つの手段として”座る”ことをやっているだけで、ぶっちゃけなんでもいいんです。
歩いてもいいし、食べてもいいし、会話してもいいし、料理をしてもいいし。
それらをしながら、脳内が「何か」にフォーカスしていることが大事なんです。
それが瞑想です。
だから「何も考えない」「無」は何にもフォーカスしていないから、瞑想ではないんですね。
だって漢字をよく見てください。
「想」って言っているのに何も想わないって矛盾してませんか?
「瞑」は目をつぶるって意味です。
目をつぶって何かを想うんです。
これが瞑想。
では”何”を想うのか。
また次回に。
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